Book Detail
古代の群像・天智天皇
Synopsis
あらすじ
古代7世紀の天皇。661年~668年称政、668年~7671年在位。中大兄皇子・葛城皇子・開別皇子とも言い、諡号を天命開別天皇ともいう。父は舒明天皇、母は皇極、斉明天皇。同母の弟妹に天武天皇(大海人皇子)・間人皇女(孝徳天皇の皇后)がある。異母兄古人皇子の女、倭姫王を皇后として「日本書紀」によれば8人の嬪・宮人と間に建皇子・川島皇子・志貴皇子・大友皇子(弘文天皇)・鵜野讃良皇女(持統天皇)など4人の皇子と、10人の皇女(元明天皇)があった。641年(舒明天皇13)父舒明天皇の死を受けて母の皇極天皇が即位したが、この年に中大兄の皇子は舒明天皇の殯宮で16歳で柱(生前の徳行などを称え、死を悼んで詞を述べる)をした。中大兄の皇子は当時の有力な皇位継承候補者の一人であったが、権力者であった蘇我氏と対立する立場にあった。おりからの中国では唐の帝国が発展して周辺に威圧を加え、朝鮮でも高句麗・百済・新羅3国が覇権を争うという緊迫した事態の中で、権力集中化を図る中臣(藤原鎌足)は中大兄皇子に接近し、二人は645年(大化元)蘇我蝦夷を・入鹿父子を倒し、新政権を樹立した。中大兄皇子は孝徳天皇の皇太子として、都を飛鳥から難波に遷し中臣鎌足を内臣、中国帰りの知識人である高向玄理・僧旻を博士に任じ、旧来の世襲的な官制を改め、地方で国造の支配するクニに変えて評の制度を敷き、田地の調査を行い、統一的な税制を志向するなど、いわゆる大化の改新の政治改革を推進した。653年(白雉4)孝徳天皇と対立し飛鳥へ帰っていったが、655年(斉明天皇元)工業区上皇が重祚して斉明天皇になると引き続き皇太子として国政を掌握した。660年唐・新羅が百済を滅ぼすと、日本は百済の遺臣の反乱を支援し、軍を朝鮮に派遣することに決した。翌年斉明天皇は筑紫で客死すると、中大兄皇子は皇太子の地位のまま朝鮮派遣軍の指揮を執った。
Hitokoto
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