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邪馬台三国志

高田 康利

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Synopsis

あらすじ

纏向入りした日神は、邪馬台・高天双方から倭女王ヒミコに共立されるや、鬼道を操る祭祀の上に、八咫鏡で日の神を奉る祭祀を覆いかぶせた天(厳)之国王朝(倭)に模様替えした。ついで伊都国(吉野ヶ里)を副都と定め、天(厳)軍常勝将軍武甕槌を常駐させた。二二○年代前半、火瓊瓊杵は笠沙に都して日隈を再興した。数年後、西都市に遷都して日前と改名した。一方の天火明は日高見国を市原市惣社に遷し、東都を開いた。 二三八年、ヒミコは魏に使節を送り、金印「親魏倭王」・方格規矩鏡百・五尺刀二等を賜った。二四〇年代中頃、ヒミコと火瓊瓊杵が争い出した。その最中に天火明が女王に謀反したが、敗れて常陸に遁走した。その後、ヒミコは火瓊瓊杵と和睦してその児海幸彦(火明饒速日)を呼び寄せ、瑞宝・羽羽矢・十握剣二振り(布都斯魂剣と布都御魂剣)・天照御魂神の八咫鏡を授けて日本家を建てさせた。直後、倭姫と共に天叢雲剣を奉じて伊勢に遷座し、夫の再来を祈り続けた。二四〇年代末にヒミコが逝くと、火明饒速日(三代垂仁)は、十握剣・八咫鏡を神璽として日本朝を開いた。二代女王トヨの晋朝貢後、彼は円墳ヒミコ陵を帆立貝型前方後円墳に改造して郊祭するや、瑞宝・羽羽矢を天璽として天神に立った。同じ頃、火瓊瓊杵跡継の火火出見も、和国と改名して倭国統合を叫んだ。二七〇年代後半、景行は天神から熊襲征伐を下命されたが、敗れて六年囚われた。二八〇年代前半、仲哀が倭国統合を誓った布都斯魂剣を授かり、橿日宮築造と熊襲征伐を下命された。彼は紀伊名草で祀られていた日矛を持ち去り、橿日に赴いた。仲哀妃で四代女王神功、武内宿禰、日本武も出陣した。火火出見跡継の磐余彦は、二八五年八月、「刃に血塗らずして勝つ」・「天下は一つ、家は一つ」(倭国統合)を合言葉に東征を決意するや、日向から橿日宮に進軍した。結果、仲哀軍が惨敗し、神功・武内宿禰・日本武は東征軍に寝返った。東征軍は吉備・出雲を征圧して摂津六甲山南麓に進攻した後、河内湖経由で生駒山西麓に上陸したが、惨敗して那智に迂回した。三世紀末、熊野から北上した磐余彦本軍、女神大山祇・海神本家筋、海神三神・住吉三神ら諸軍が纏向や三輪に殺到して日本朝を降すと、火明饒速日は羽羽矢・瑞宝を差し出し、帰順を願い出た。この間、倭女王は、豊鍬入姫→倭迹迹日百襲姫→神功皇后→倭姫と続いた。三〇一年元旦、磐余彦(神武)は橿原に都して大和朝廷を開き、初代天皇(始馭天下之天皇)に即位すると、大倭王開化の皇子(崇神)を太子に指名した。ついで火明饒速日の児可美真手に物部姓と共に瑞宝・十握剣を授け、かつて海幸彦が火火出見に誓った宮殿警護と大和朝廷守護を厳命した。三〇四年二月、神武は鳥見山中に日向式柄鏡型前方後円墳(桜井茶臼山古墳)で郊祭して天照大御神と高皇産霊を天に配し、皇祖天神並びに皇祖皇宗に奉った。

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